成田尚哉 追悼展 Cinema Baroque
2020年に逝去した映画プロデューサー・成田尚哉の遺作となるオブジェ作品を中心とした追悼展を開催いたします。
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永遠に消えない幻を求めて −成田尚哉のために
北川健次(美術家)
「うつし世はゆめ、夜の夢こそまこと」と云ったのは江戸川乱歩であるが、一昨年の九月に逝去した成田尚哉ならば何と云うであろうか。あの含羞と憂いを含んだ優しい微笑を浮かべながら、さしずめ「うつし世も、夜の夢も共に幻・・・・」とでも云いそうな感じがする。しかし、この問いへの答は遂に返っては来ない。
映画の分野で数々のヒット作を企画・製作して確かな足跡を残した成田が、人生の後半に至って映画と共に没頭したのはオブジェとコラージュの制作であった。その集中の様は凄まじく、短期間のうちに完成度と深みは高みへと昇華していった。尽きない表現への衝動とイメージの蓄積は既にして濃密に仕込まれており、作品の数々はそのひたすらなる放射と結晶であった。その成田が最後に主題としたのが「天使」であった。天使とは神の使者を指すが、クレーが晩年に挑んだ天使像と同じく、成田にあっては、更なる飛翔への願望、或いは死の予感がそこに在ったかとも思われる。そして彼の天使は、無垢の装いの内にエロティックな煩悩、悪徳の埋み火の残余を残し、クレーがそうであったように堕天使の相を宿して、あたかもそれは成田自身の肖像のようにも想われる。
成田がオブジェと並行して挑んだのは、乳色の薄い皮膜に封印したイメージの重なりであった。それは美術の分野に於いて類の無いコラージュの技法で、彼が情熱を注いだ映画のスクリーンにむしろ通じている。リュミエール兄弟以来、映画の作り手は総じて夢想家であると私は思っている。世界が、物語が、目の前の闇にありありと見え、手を伸ばせば掴めそうな万象の映りがそこに在る。しかしそれに触れる事は出来ない。灯りを点ければ万象の映しは全て霧散し、残るのは薄く透けた乳白色の幕だけである。故にその幻は永遠に美しい。成田が生涯を賭して追い求めたのは、その幻の刻印ではなかっただろうか。
「うつし世も、夜の夢も共に幻・・・・」。含羞と憂いを含んだ成田尚哉の確かな声が一瞬立ち上がり、やがて幻のように・・・・静かに消えていった。
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物を捨てない派だった夫の狭いアトリエには、様々な画材や作りかけの作品がまだそのまま全部残っています。次に何かを作るためにそこにスタンバイしているかのような切り抜きや写真と共に。半年間の闘病の間も個展に向けた作品作りを続けていた姿が今もくっきりと浮かび、なかなか片付ける気になれずにいます。
今回数は少ないながらその時の作品も含め、縁あって出会えた方々に見ていただけたらと願っています。
成田可子
[会期]
2022年5月13日(金)〜5月21日(土)
[時間]
12:00〜19:00
[場所]
スマートシップギャラリー